あと2週間
2011.3.11東日本大震災
あの日あの時間、あなたはどこに居ましたか?
私は震源に近い福島県いわき市の職場に居ました。
ビルの6階で、長い長い激震の中、私は死を覚悟しました。
かつて体験したことの無い激震に、ビルごと倒壊するのではないかと思ったからです。
あの大震災の被害は、報道等であなたが知る通りです。
幸いにも私が死ぬことはありませんでしたが、ライフラインが止まり、原発事故の後はいわき市の広報車が「表に出ないでください」と繰り返す日々。
駅は封鎖され電車が止まり、ほとんど車の走っていない駅前通り。
人影を探すのも困難なゴーストタウンと化した地元いわき駅前の街並みを、私が歩道橋の上から眺めたあの日から、もう2年が過ぎようとしています。
そして突然の母の死
その間、私事ですがもう一つ大きな出来事がありました。
震災があった年の秋、病気がちだった母が突然の脳出血で死去しました。
東日本大震災では、「死」について多くの報道がされました。
津波にさらわれた多くの命。
でもこれは「他人の死」でした。
大震災の被害はあまりにも甚大過ぎて、悪夢のような非現実感がありました。
その後に訪れた、母の死。
これは身近な肉親の死です。
震災被害という大きな環境の変化に追い打ちをかけるような喪失感。
日常が大きく変化した中で、私は死について考えさせられました。
それと同時に、生きることについても考えさせられました。
人は必ず死ぬ。
人生は「長い」と言う人もいれば、「短い」と言う人もいる。
アイフォーンで有名なアップル社の創業者スティーブ・ジョブズ氏は
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定を私は本当にやりたいだろうか?」と言いました。
自分にできる事は精一杯今を生きる事しかないわけだけれど、その精一杯生きる気力を削がれてしまったのが被災者であったりします。
想像してみてください・・・
・あなたが今住んでいる家を津波で流されたら、明日からどうしますか?
・あなたの両親を失ったら、明日からどうしますか?
・あなたの愛する恋人を失くしたら、明日からどうしますか?
・あなたの愛する子どもを失くしたら、明日からどうしますか?
大切なものを失った人が、被災地にはたくさんいます。
あれから2年近く経った今も。
(つづく)