夜行観覧車から見る夜景は綺麗だろうな

ドラマ「夜行観覧車」最終回を見ました。

親子の狂気がむき出しになるシーンに衝撃を受けながら見ていたこのドラマ。

大どんでん返しは無いし、こんな都合良く終わっちゃっていいの?

と拍子抜けでした。

いじめられていた娘は精神病になって引きこもるか自殺し、

父親を殺された一家はあれだけ世間の目に晒されたんだから

長男は大学を辞めるとか、兄弟は今後も後ろ指さされる人生を送る、

それが現実でしょ。

凶器隠しても善意ならいいって終わらせちゃまずいだろうし。

やっぱり小説は現実を超えられないのかなあ、

なんて尊敬する湊かなえ先生の原作にケチつけるつもりではないのでゴメンなさい。

さんざん煽っておいてドラマとしてどーよ、って話です。

そもそもどうして人は犯罪を犯すのでしょう。

そうなるかならないかは紙一重、ちょっとしたボタンの掛け違えといえど、

一度罪を犯してしまえば容赦ない現実が突きつけられる。

どんなに後悔・反省しようとも。

マスメディアに加えてネットで情報が飛び交う現代においては、

加害者・被害者の区別無く個人情報が晒されるという。

未成年であっても例外ではない。

息苦しい世の中になったものだと思う。

それが犯罪の抑止力になっているならまだいいが、

現実はそうではないだろう。

更生の道もますます厳しい。

そこまでの報道・情報を、一体誰が望んでいるのか?

例えば、

「東京都世田谷区の資産家のナントカさん夫妻が、強盗殺人被害、

背中をナイフで十数か所刺され云々・・・」

なんてニュースがあったとします。

世田谷・資産家・殺害方法とかいう情報は失くして欲しいです。

余計な憶測・好奇心を生む素です。

ワイドショーでも取り上げなくていい。

他人の不幸を詮索することは浅ましいことだと思う。

通学途中の子どもの列に車が突っ込んだ交通事故は大きく報じるのに、

通勤電車に飛び込んで自殺したサラリーマンのことは報じないのも、

命の尊さが同じというなら矛盾がある。

そんな屁理屈聞いてたらニュースもワイドショーも成立しないよって?

そうですね。

隣の青い芝は羨ましくも妬ましく見るもんで、

同じく対岸の火事は興味津津野次馬根性で見るもの。

他人の不幸ほど甘い蜜はないって言いますし。

それを嫌うなら見なきゃいいってだけの話。

というわけで私はニュースあまり見ません。

(ワイドショーは仕事してる時間なので、見られません)

大体、ほぼ間違いなくリアルでは一生縁の無い他人の不幸を知ることに

貴重な自分の時間を浪費したくない。

悲しい不幸な事件・事故を一切取り扱わないニュースチャンネルが

あればいいのになあ、と言った人がいますが、半分だけ同意。

実現化しても、私は見ないと思います。

偉そうに書き連ねましたが聖人君子じゃないし、平和ボケしたくないですから。

観覧車は脱線しないのに、本ブログは大きく脱線してしまいました。

最後にひとこと

本作「夜行観覧車」の他に、今クール注目していたもう1つのドラマ「とんび」

いずれもタイトルが重要なカギになっていたのですが、

込められた意味、圧倒的に「とんび」に軍配でしょう。